卵形の旧市街の半分はイスラム教徒の街、残りはキリスト教徒の街である。
この相反する水と油のような2つの宗教とさらにユダヤ教、これらは、もともとセム民族系宗教と言う同類のものであり互いに相互を認あう考えも持っているらしい。彼らからすれば、無宗教などと主張する者はもはや動物以下、人としても認めてもらえないとのだそうだ。
ここダマスカスに着いて感じたこと、それは人々の生き生きとした姿だった。強力な国家統制、軍事出費に伴う大きな経済的ハンディの下で、人々が精一杯かつ楽しく生活している国なのだろう
ヨルダン・・一生懸命背伸びをしている中東の優等生、でも世知辛くすこし窮屈
シリア ・・貧しいなかで精一杯楽しく生きている肩肘はらない等身大の庶民の国
隣り合う中東の2つの国のこんな図式が浮かんでくる。
西側の輸入物資が少なく、多くが国内供給、そのため街には職人が多くいるし、あらゆる物を作っている。農業・畜産も盛んで安くておいしものが市場ですぐ手に入る。そこには(日本では失われてしまった)いろんな職業が堂々と存在し、それらと人々の繋がり、日々の営みが普通に存在している。
とても自然だ。
強いて不自然なものをあげれるとすれば、至る所に存在する大統領とその一族の肖像、国民が持っていてて車や手帳に張っているプリクラのような大統領の写真、街のあちこちにいる警官、秘密警察。しかし、これとても庶民の生活に影響したりされてたりしている様子はうかがえない。当たり前のように普通にある、とても透明な存在のように思えた。
ほんのわずかの間にかいま見たシリアの顔、本当の所はわからない。
しかし、このような状況から生まれるアンバランスやカオス的状況、変化しつつも昔らしさを失わない所、そんな所が旅人にとってはとても楽しく興味深い所なのだ。
さて、このこの混沌が幾重にも積み重なったような街で数日過ごした後、私たちは残されたわずかな時間で地方に足を延ばすことにした。一つは砂漠のオアシスにある遺跡パルミラ。古代都市の風景は以外にもシュール。もう一つは山奥にひっそりと存在するキリスト教徒の街マアルーラ。岩だらけの町だが、家々の壁がカラフルに彩られている不思議な色彩都市である。